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小浜城 (陸奥国)[おばまじょう]
小浜城(おばまじょう)は福島県二本松市にあった戦国時代の日本の城(山城)。現在は本丸跡が史跡公園として整備されている。 == 歴史・沿革 == 小浜城のある塩松地方(現在の福島県二本松市の一部を含む)は、室町時代には石橋氏の所領であった。小浜城はその家臣・大内氏が築いたといわれている。永禄11年(1568年)、小浜城主・大内義綱は田村氏に通じて主家の石橋尚義を追放し、塩松地方一帯を支配下に置いた。大内氏はその後、田村氏からの独立を目論んで伊達氏・蘆名氏の側に転じた。天正12年(1584年)に伊達政宗が家督を継ぐと、当主・大内定綱は引き続き伊達氏への従属を誓ったが、翌年には離反し、蘆名氏に属する。これに対し、政宗は自ら軍を率いて塩松地方へ攻め込み、支城の小手森城を攻め落とすと、その勢いで塩松地方の制圧に成功した。小浜城の大内定綱は蘆名氏を頼って逃亡し、政宗は小浜城へ無血入城することができた。この後政宗は小浜城を二本松氏攻撃の拠点とし、天正14年(1586年)8月までの約1年間滞在した。政宗の父・輝宗が二本松義継に拉致殺害された事件(粟之巣の変事)が起きたのもこの小浜城滞在期間中である。なお、定綱は郡山合戦の際に伊達成実の調略によって帰参し、後に伊達家の重臣となった。天正19年(1591年)、奥州仕置によって塩松が蒲生氏郷領となると、家臣の蒲生忠右衛門が2万5千石を与えられて小浜城代となった。現在、本丸跡に残されている石垣はこの時築造されたものである。その後、上杉氏時代は山浦景国、再蒲生時代は玉井貞右が城代となり、寛永4年(1627年)廃城となった。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「小浜城 (陸奥国)」の詳細全文を読む
英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Obama Castle (Mutsu) 」があります。
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